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住職のつぶやき
時は鎌倉、ご存知、奈良の正倉院!
「知ってる~、昔行った」。 そんな事ァどーでもいい。 もっともっと昔の天平(七百何年)の大昔からある校倉造、国宝! ここに東○寺の坊主たちが泥棒に入った! 盗んだブツはキラキラと輝く聖武天皇ゆかりの鏡! 街中大騒ぎだ!
ところが盗んだ鏡、本当は「白銅製」だった。 欲に目がくらんだ坊主たち、勝手に銀と思い込んじまった! あとで知った坊主たちも大騒ぎ! バレたら困ると思案六方粉々に砕いて境内に隠しちまった! 追及の手が伸びるとそりゃァ誤魔化すわ、言い逃れするわ、嘘はつくわ、あげくの果てに証拠隠滅だ! 黙って返しゃよかったものを、結局はお縄に・・・・・♪ベンベン!
でもね、ちょっと考えりゃ、東○電力の方々も、思わず本音を語った政治家も、私の周りのあの人この人、あなたも私も、み~んなみんな、盗人坊主の仲間だネ、・・・・・
♪ベンベン!
そうそう、あの鏡は『平螺鈿背円鏡』というんですがね、その破片がまもなく展示されるそうですよ。 (2013年9月)
また銃の乱射事件が起きた。
先生6人と小学一年生20人が殺された。 全員の小さな體に3~11発も撃ち込まれた。 銃を無くさなければならないとか、警備員が銃を持っていないからこうなったとか、世論が割れているそうだ。 アメリカには戦争で使うようなショットガンやかわいいピンクの銃など3億丁もあり、銃規制があるかもしれないと慌てて買いにいく人で銃砲店は大繁盛らしい。 「銃そのものは悪くない、悪いのは悪用する人間だ」と。 いや、その通りかも知れないが、人間をそんなに信用していいのかな?
『わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし』(歎異抄)
「政府の、私の責任」で原発が再稼動し、平和憲法が改正されようとしている。・・・・・責任なんて誰もとれない! (2013年1月)
暑い!夏です。
オリンピックのロンドンでは選手村が公開され、ベッドが小さいとかありましたが、我が国では非公開ながら教育ムラ、原子力ムラが話題となっています。
さて、東北の震災からまだ2年ちょっと、福島にある原発は、廃炉はおろか事故原因さえ究明されておりません。 家を追われた人たちがどこかで二度目の夏を過ごし、悲しみや傷みがフリーズしたまま、政府の「責任は私がもつ」の宣言によって大飯原発が再稼働しているのです。
「責任」といえば1962年、植木等さんの『ニッポン無責任時代』『―野郎』という映画で「無責任」という言葉が大流行しました。 その背景にあったのは、家・車・家電・・・右肩上がりの高度経済成長。 そのエネルギーを求め63年に東海村で原子力発電がおこなわれたんです。
人間性を失わせた大量生産大量消費の経済至上主義に待ったをかけてくれた自然の摂理に、人は大いに謙虚になれたのに、人間の傲慢さは、あの震災のエネルギーより大きいということでしょうか。 「いのち」の責任などとれる訳ないのに。
そうそう1963年には『くたばれ!無責任』が上映されたそうですゾ。 (2012年9月)
桜ほど四季を演出するに相応しいものはおるまい。
開演を待たせるかのような開花は人々のこころを躍らせ、そして他人事のように鮮やかな散り様も粋である。 その変わり身の早さに感心しながらも、人々は遅れまいと春の身支度を急ぐ。
東北では被災を免れた樹々たちが今年も花を咲かせようとしている。 ただ今年は、眺める人たちの中にあの顔も、あの顔もいない。 福島の原発あたりでは、野生化した家畜たちがいるくらいで、ひとっ子一人いないらしい。
津波や放射能によって故郷を追われたままの人が未だ32万人もいる。 大切な人のこと、楽しかったこと、辛かったこと、山や海、
・・・・・そんな想い出と一緒にどこかで眺めるのだろうか、サクラ。 (2012年5月)
師走の夜に夢を灯すイルミネーションの中、
どこからか聞こえるクリスマスソングを掻き消し、街宣車のスピーカーが候補者の名を叫びながら走り去る。 テレビも新聞も、乱立する政党の討論合戦ばかりで、党首やら代表やらの自慢話や批判話にウンザリさせられている。 自己主張、自画自賛、誹謗中傷・・・、そうそう「揚げ足取り」は本来相撲取りが使うもの、政治家は何でも取りたがるようだ。 あの様を見ていると『絆』という言葉は、被災者やボランティアの専門用語ではないかと思ってしまう。
この案内を手にされた時、すでに憲法改正、国防軍設立に舵をとっているのか、はたまた経済界の後押しを利用し原発再稼働に世論操作しようとするのか、何とも分からない。 が、あの十五年戦争から、東北の震災から何も学べないこの娑婆のことを「穢土」というのは確か。
『世の中 安穏なれ 仏法ひろまれ』 (2012年1月)
暑い!ですね。
「うるさい!セミ」にイライラも募るばかりです。 さて、その蝉ですが、樹に産み付けられた卵から孵った幼虫は翌年、土に潜っていきます。 三~十数年(気候や種類によって違う)の間、根から樹液を吸いながら地上に出るのを待ちます。 長い時を経て、その瞬間がやってくると、暗くなるのを待ち、樹を登ります。 暗い内に成虫(蝉)になるための最後の脱皮をします。
そして陽が昇ると、ひと月足らずの生命を全うするため飛び立っていくのです。
3月11日、東北を襲った地震・津波は生きとし生けるものを根こそぎ奪い去りました。 人間のいのちと共に牛などの動物たち、稲などの作物たち、樹や草、そこに宿っていた虫たち、・・・蝉の幼虫たちも。 土に潜って一年目も二年目も、五年目も七年目の幼虫たちも、みんな木々と一緒に流されてしまいました。 まさしく空蝉、地獄の如く。 でも、涙し、助け合う人々の姿は、ここが末法ではなく、また聞かせてくれるであろう『蝉時雨』を予感させます。 (2011年9月)
神戸の街のあちこちから上がる煙、
阪神淡路を襲った大震災から16年経った・・・・・。
3月11日、私たちはユサユサと大きく揺られた。 東北地方の太平洋沿岸を襲った『東日本大震災』だ。 家や車を次々とのみ込んでいく津波の映像は頭から離れない。 驚異的な自然の力は人間の生活文化をあざ笑うかのように超越している。 ・・・・必死に逃げのびた人、あと少しで助からなかった人、助けられなかったと悔やんでいる人、自分だけが助かったと詫びている人、子どもを失った人、親や友を亡くした人、優しさを知った人、人は助け合わなければならないと知った人、そんな中で騙したり盗んだりする人・・・・。 今、復興を邪魔している原子力発電にたよってきた人、そしてそれを命がけで修復している人、人、人。
日本中が釘付けとなっている紙面の隙間に、こんな時にも虐待死のニュースがあった。 3才の子どもをビニール袋に入れて殺したと。こんな奴も人。
「いのち」って、人間って何だ。 (2011年5月)
悲痛の叫び声に耳を塞いでしまった自分を責め
続けている人。
暗く強い波にさらわれていった、愛する人の懇願の握力が今も忘れられない人。
亡骸さえも還してくれない美しい海に涙している人。
「ああしておけばよかった」と、悔やみ続ける人。
・・・それでも、あの日はかえってこない。
あっという間に9か月が過ぎ、もうすぐ正月だ。 「除夜の鐘」の「除」という字は、古いものを捨てて新しいものに移るという意味があるのだそうだが、強い人ばかりじゃない。
一方で、責任逃れに終始する原発関係者、新聞には「いのち」を疎かにした事件が後を絶たない。
私たちは、あの大震災から何を学んだのか。 やっぱり今年の鐘の音は悲しい。 (2011年1月)
『殺処分』(さつしょぶん)とは、
「殺害」という形で、不要な、もしくは人間に害を及ぼす動物を処分することである。
宮崎では今年「口蹄疫」で29万頭の家畜が、茨木では数年前だが「鳥インフルエンザ」で150万羽の鶏が、全国で、毎年34万匹の犬や猫が・・・・。 数え上げたらキリが無いが、人間の尺度(ものさし)によって殺されていく。 家畜やペットたちには苦痛を与えないように配慮されてはいるが、処分に関わる人たちの精神的苦痛は計り知れないくらい大きく重い。 一方、大阪では不要になった3才と1才の子どもが「育児放棄(ネグレクト)」によって、母親から「殺処分」された。 この母親には「ママ~! ママ~!」と叫ぶ子どもたちの悲痛な声も邪魔でしかなかったのだろう。 なんとも暗く、悲しい。 (2010年9月)
餓死。
世界中では、特にアフリカ中西部では、栄養失調が原因で毎日2万4000人が亡くなっている。
しかし、これは日本での話。 あるアパートの一室で、5歳の子どもが餓死した。 体重わずか6200グラム、生後3ヶ月並みで、紙おむつをあてがわれ、寝たきりだった。 これはネグレクト(育児放棄)という虐待の結果である。 逮捕された母親は「不仲の夫に顔が似ていてかわいくない、育てるのが嫌だった」と。 昨年は335件の虐待が摘発され、その内28人の乳幼児が死んでいる。 阿修羅の形相の親に殴られ、罵られ、それでも訳も分からずひたすら謝って・・。 捨てられるのが怖いから、 でも、きっといつかは抱きしめてくれるだろうと・・・。
いたたまれない。 こんな親たちに渡される子ども手当、何に使われるのやら。 (2010年5月)