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住職のつぶやき
民意が反映されやすいとされる統一地方選挙が
あります。 あなたや子どもたち、町の未来を変えてしまう可能性があります。 原発や軍事施設のある自治体は尚更です。 だから投票にはお出かけ下さいネ。
・・・・しかし、昨今はそうはまいらんようです。 「原発」や「特定秘密法」、「憲法改悪」など、民意は悉く届かぬようであります。 沖縄も普天間基地移設で国と対峙しております。
日本にある米軍基地の74%が沖縄にあって、沖縄本島の18%の面積を占めています。 これは名古屋市でいえば瑞穂・南・天白・熱田区に立ち入り出来ない事と同じです。 沖縄の1500キロ圏内には上海、平壌台北やマニラなど東アジアの主要都市がすっぽり入ります。 沖縄は絶好の「不沈空母」なのです。
そして国は言います。 「国家の安全のため」に「捨て石」になれと。 かつてあの大戦で本土防衛の時間稼ぎのため県民の四分の一が亡くなり、「捨て石」とされた人々の痛み、苦しみに耳を傾けれない国のどこが「美しい国」と言えるのでしょう。 (2015年5月)
心優(みゆ)ちゃん、紗弥音(さやね)ちゃんは
二人とも3才でした。 心優ちゃんはママに橋の上から落とされてしまいました。 紗弥音ちゃんは食事を与えてもらえませんでした。 彼女の小さなお腹の中にあったのはアルミ箔とロウ、玉ねぎの皮でした。
これは「虐待防止推進月間」の11月の事件です。
空腹のあまり紙おむつやプラスチックのおもちゃ、おしっこやうんこまで食べた子もいました。 ネグレクト(育児放棄)によって餓死しなければならない子が毎月いるのです。 洗濯機やオーブンに入れられた子、吸殻や唐辛子を口に押込まれた子、ゴミ袋に捨てられる子が毎月いるんです。 虐待は十年前の5倍以上、激増しています。
弱い者には傲慢に、都合の悪いものは排除する・・・、現代社会の縮図がそのまま自分の子どもにまで・・・・。 それにしても、みんな素敵な名前を貰っています。 それがなんとも哀しくてなりません。 (2015年1月)
あの夏の暑い日、
青白い閃光が広島と長崎の空を引き裂きました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「♪ドシラ♪ドシラ♪ドシラソラシドシラ ♪ドシラドシラ♪ドシラソラシドシラ・・・・・・」
そう!『ゴジラ』です。 今年はゴジラ生誕60年、私も生誕60年(こっちは関係ないですが)、その1954(昭和29)年、ビキニ環礁の水爆実験で「第五福竜丸」や多くの漁船が被曝し、モスクワで世界初の原発が稼働しました。 戦後僅か9年、8千万人の悲しみが癒えぬまま、世界はすでに原子力兵器と原子力発電にしのぎを削っていたんです。 ゴジラはその時、水爆実験の落とし子として、放射能の脅威を人類に警鐘すべく現れたんですね。
それなのに今や〝平和〟のための1万7千発の核爆弾と、〝繁栄〟のための450基の原発が散在しています。
メルトダウンも戦争も、絵空事のようにしか見られない未熟な権力者たちの「美しい國づくり」に、私たちは踏み潰されてはならないのです。
「ギャオオォォ~~オォン」 (2014年9月)
『アンネの日記』が物騒な話題となりましたが、
同時に、こころの隅っこにいた懐かしい記憶の引き出しが開きました。
「日記」という言葉には魔法がかかっていて、遠いあの頃にひとっ飛びです。 紙やインクの匂いがして、そこには自分一人の真実と空想があって、秘密めいたそのページには甘酸っぱさがありました。 「三日坊主」という四文字熟語を覚えたのもその頃でした・・・。
さて、アンネは恋もする普通の女の子でしたが、彼女とは何の関係もない戦争・人種差別・ホロコーストが15才のいのちを奪ったのでした。
「私達は皆、幸せになることを目的に生きています。 私たちの人生は、一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。」(アンネ・フランク)
結局はナチスに捕えられでしまうけれど、多感な少女の明るさはきっと周りの大人たちに小さな希望を与えたことでしょう。
僅か70年前の出来事なのに、あの深い悲しみと絶望、流れた血と涙をすっかり忘れてしまった私たちにアンネの言葉は届かないのかもしれない。 (2014年5月)
世間をお騒がせした一流処の偽装(誤)表示問題。
「偽装とは本当の事を隠し、欺くために誤魔化し、偽る」とあります。 値段やブランドに騙され腹立たしい思いをした皆さん、「偽装」について考えてみましょう。 重大なのは、生命や生活を脅かす「隠ぺい偽装」です。 「耐震偽装」は、多くの人たちが二重ローンを抱え途方に暮れました。 「原発事故隠し(放射能漏れ)」では、多くの人たちを被ばくさせました。 「原発安全神話」「特定秘密保護法」も、偽装と隠ぺいの塗り重ねです。
塗り重ねといやぁ「女性の化粧」。 厄介なのは「嘘の重ね塗り」。 (2014年1月)
時は鎌倉、ご存知、奈良の正倉院!
「知ってる~、昔行った」。 そんな事ァどーでもいい。 もっともっと昔の天平(七百何年)の大昔からある校倉造、国宝! ここに東○寺の坊主たちが泥棒に入った! 盗んだブツはキラキラと輝く聖武天皇ゆかりの鏡! 街中大騒ぎだ!
ところが盗んだ鏡、本当は「白銅製」だった。 欲に目がくらんだ坊主たち、勝手に銀と思い込んじまった! あとで知った坊主たちも大騒ぎ! バレたら困ると思案六方粉々に砕いて境内に隠しちまった! 追及の手が伸びるとそりゃァ誤魔化すわ、言い逃れするわ、嘘はつくわ、あげくの果てに証拠隠滅だ! 黙って返しゃよかったものを、結局はお縄に・・・・・♪ベンベン!
でもね、ちょっと考えりゃ、東○電力の方々も、思わず本音を語った政治家も、私の周りのあの人この人、あなたも私も、み~んなみんな、盗人坊主の仲間だネ、・・・・・
♪ベンベン!
そうそう、あの鏡は『平螺鈿背円鏡』というんですがね、その破片がまもなく展示されるそうですよ。 (2013年9月)
また銃の乱射事件が起きた。
先生6人と小学一年生20人が殺された。 全員の小さな體に3~11発も撃ち込まれた。 銃を無くさなければならないとか、警備員が銃を持っていないからこうなったとか、世論が割れているそうだ。 アメリカには戦争で使うようなショットガンやかわいいピンクの銃など3億丁もあり、銃規制があるかもしれないと慌てて買いにいく人で銃砲店は大繁盛らしい。 「銃そのものは悪くない、悪いのは悪用する人間だ」と。 いや、その通りかも知れないが、人間をそんなに信用していいのかな?
『わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし』(歎異抄)
「政府の、私の責任」で原発が再稼動し、平和憲法が改正されようとしている。・・・・・責任なんて誰もとれない! (2013年1月)
暑い!夏です。
オリンピックのロンドンでは選手村が公開され、ベッドが小さいとかありましたが、我が国では非公開ながら教育ムラ、原子力ムラが話題となっています。
さて、東北の震災からまだ2年ちょっと、福島にある原発は、廃炉はおろか事故原因さえ究明されておりません。 家を追われた人たちがどこかで二度目の夏を過ごし、悲しみや傷みがフリーズしたまま、政府の「責任は私がもつ」の宣言によって大飯原発が再稼働しているのです。
「責任」といえば1962年、植木等さんの『ニッポン無責任時代』『―野郎』という映画で「無責任」という言葉が大流行しました。 その背景にあったのは、家・車・家電・・・右肩上がりの高度経済成長。 そのエネルギーを求め63年に東海村で原子力発電がおこなわれたんです。
人間性を失わせた大量生産大量消費の経済至上主義に待ったをかけてくれた自然の摂理に、人は大いに謙虚になれたのに、人間の傲慢さは、あの震災のエネルギーより大きいということでしょうか。 「いのち」の責任などとれる訳ないのに。
そうそう1963年には『くたばれ!無責任』が上映されたそうですゾ。 (2012年9月)
桜ほど四季を演出するに相応しいものはおるまい。
開演を待たせるかのような開花は人々のこころを躍らせ、そして他人事のように鮮やかな散り様も粋である。 その変わり身の早さに感心しながらも、人々は遅れまいと春の身支度を急ぐ。
東北では被災を免れた樹々たちが今年も花を咲かせようとしている。 ただ今年は、眺める人たちの中にあの顔も、あの顔もいない。 福島の原発あたりでは、野生化した家畜たちがいるくらいで、ひとっ子一人いないらしい。
津波や放射能によって故郷を追われたままの人が未だ32万人もいる。 大切な人のこと、楽しかったこと、辛かったこと、山や海、
・・・・・そんな想い出と一緒にどこかで眺めるのだろうか、サクラ。 (2012年5月)
師走の夜に夢を灯すイルミネーションの中、
どこからか聞こえるクリスマスソングを掻き消し、街宣車のスピーカーが候補者の名を叫びながら走り去る。 テレビも新聞も、乱立する政党の討論合戦ばかりで、党首やら代表やらの自慢話や批判話にウンザリさせられている。 自己主張、自画自賛、誹謗中傷・・・、そうそう「揚げ足取り」は本来相撲取りが使うもの、政治家は何でも取りたがるようだ。 あの様を見ていると『絆』という言葉は、被災者やボランティアの専門用語ではないかと思ってしまう。
この案内を手にされた時、すでに憲法改正、国防軍設立に舵をとっているのか、はたまた経済界の後押しを利用し原発再稼働に世論操作しようとするのか、何とも分からない。 が、あの十五年戦争から、東北の震災から何も学べないこの娑婆のことを「穢土」というのは確か。
『世の中 安穏なれ 仏法ひろまれ』 (2012年1月)